日本でのアロエのひろがり
アロエは、原産地のアフリカからシルクロードなどの様々なルート をたどり日本に伝わり、親しまれるようになりました。 今回は、アロエがどのようにして人々の生活の中に広まっ ていったのかをご紹介いたします。
アロエの伝来
日本にアロエが伝えられたのは一般的には鎌倉時代とも室町時代とも言われています。また日本最古のアロエの記録は江戸時代に刊行された『大和本草』という薬草の研究書でした。この中でアロエは、「蘆薈(ロカイ)」として登場し、「その味苦く臭くして、気味ともに甚だしく苦きゆえ虫を殺す」と記されています。気味とは「においと味」、虫とは「病気の源」を指し、当時から珍重されていたことが分かります。また、『大和本草』や『本草綱目啓蒙』 といった書物の中のアロエの画はいずれも想像で描かれていました。それは、アロエが本来の姿ではなく、加工された状態で日本に伝わったため、当時の学者はアロエの姿を想像するしかなかったからだと考えられています。
アロエの普及
明治時代になるとドイツ医学の導入などの影響から医療制度が整備されました。
明治18年(1866年)に公定書が制定され、アロエは「蘆薈(ロカイ)」の名で登録されます。以降、現在にいたるまで変わらず掲載されています。
温暖な気候の地域、九州の一部等では、自生し キダチアロエが鎌倉時代以前から使われていたと言われていますが、アロエがより普及したのは第二次世界大戦後のことでした。戦後に世界中の学者によってアロエの作用が解明されてきたことや、日本の気候にあった品種として独特な特性をもつキダチアロエの抜群の効果が証明されたことなどを背景に、人々の生活の中にキダチアロエが普及していきました。
日本にある多くのアロエ
人々の生活の中まで普及したアロエは、各家庭で育てられるようになりました。今は中々見られなくなりましたが、かつては庭先にキダチアロエを植えている家庭も多く、ちょっとした応急措置や肌荒れなどが起きたときに、庭のアロエをちぎって食べたり果肉を塗ったりと、身近な存在として活用されていました。
今でも、比較的育てやすいことから、園芸店やホームセンターなどでも気軽に手に入れることができます。また鑑賞用の品種のアロエも多く販売されているため、インテリアの一つとしてもさらに親しまれる存在になっています。