アロエの歴史
アフリカから渡ってきたアロエ
アロエはアラビアやアフリカなどの熱帯地方が原産地と言われています。 遠く離れたアフリカで生まれたアロエが、どのようにして日本にやってきたのか、今回はその歴史をご紹介いたします。
きっかけはアレキサンダー大王
アロエが広がるきっかけとなったのは、東欧の国マケドニアの王・アレキサンダー大王の東方遠征と言われています。紀元前330年頃アレキサンダー大王は、自身の家庭教師でもあった哲学者アリストテレスの助言のもと、遠征で立ち寄ったアロエの産地であるソコトラ島を占領しました。そしてアロエを栽培し、戦いで兵士の手当などに用いたと言われています。
紀元前1世紀にはローマ皇帝ネロの元でアロエの内服方法が研究され、9世紀になるとアラビアで加工されたアロエがヨーロッパへ広がっていきました。さらに12世紀にはドイツの公定文書にアロエが登場し、次第に周辺諸国へと普及していきました。
シルクロードを通って
日本に入ってきたアロエ
その後加工されたアロエは、インドや中国に伝わりシルクロードを経て、鎌倉時代にポルトガルの宣教師らによって日本に持ち込まれたと言われています。日本に伝えられたアロエは、九州・ 伊豆を中心に四国や和歌山などの海岸に自生するようになります。 もともと生命力が強いアロエですが、日本各地に根をおろしてから、ゆっくりと日本の気候風土に合わせて独自に変化していきました。
鹿児島に残るアロエの歴史
一方で、鹿児島には一般的な説とは異なるアロエの伝来ルートが伝わっています。それは、奈良時代に中国の高僧・鑑真和尚が遣唐使船で鹿児島県坊津へ上陸した際にアロエを持ちこんだというものです。 元々温暖な気候であったため、 アロエは坊津周辺や鹿児島の各地へ広がり根付いていきました。坊津地域では、今でも民家の庭先に自生したアロエを見ることができます。
様々な説があるアロエですが、遥か昔から人々を癒していた植物であることは間違いないでしょう。
文献に残るアロエの足跡
アロエのことが記された文献の中でも最古の記録と言われているのが、古代エジプトの「エーベルス・ パピルス」です。そこには、アロエに関する数多くの処方が記されています。また、ミイラの保存にも一役買っていたと記す文献も残っているそうです。